商人伝道師一日一言

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商人伝道師“水元 仁志”オフィシャルBLOG

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2018年 02月 11日 ( 1 )

心のオアシス


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やる気と感動の祭典23 発表者エントリー募集

実践こそ真実!!
これが「やる気と感動の祭典」。
エントリーしないということは、「競合企業が参加できない」という
特権を“放棄した!”とみなされる。
全社!全部門!のエントリーを期待する。
エントリーは明日まで受け付けます

by 商人伝道師


「やる気と感動の祭典」にいつも参加されている
メーカー・問屋様へ
商人伝道師からメッセージです。
必ずご覧ください。

http://akindonet.exblog.jp/29415570/


「エントリーのご案内」ダウンロードはコチラから
第23回やる気と感動の祭典ポスターのダウンロードはコチラから
詳細はやる気と感動の祭典 公式ウェブサイトまで

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 【第23回やる気と感動の祭典 発表者決定の発表日が変更となりました】

2月15日(木) → 2月17日(土)
    
発表企業様宛には当日(17日)、午後1時にFAXをお送り致します。
セミナー参加受付開始は17日から


今日は朝6時起床。
珍しく、近くの「スパ」に行く。
かなり疲れが溜まっているので…
それと、今日から「第23回 やる気と感動の祭典」の選考を開始するので…


さて、「第23回 やる気と感動の祭典」
月曜日くらいまではエントリーを受け付けます。
特に「メーカー様」や「問屋様」
ギリギリまで待っていますので、エントリー期待しています。
もちろん、小売業の方々は当たり前。
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期待しています。
大いに期待しています。
いや、首を長~くしてお待ちしています。


そして、今日は「日曜日」
「心のオアシス」の日。
今日は「100円均一にしたくなかった~ダイソー涙の誕生秘話」


大創産業社長の矢野博丈(74歳)さん。
広島県福富町に、矢野が高校までを過ごした築150年の生家がある。
今は空き家となっているが、矢野は時折ここを訪れるという。

父は町医者だったが、貧しい人からは金をとらず、生活は厳しかった。
そんな父は口を酸っぱくしてこう言い続けたという。

「勉強せえ、仕事を手伝え、勤勉にせえと、火のように怒られた。
親父のおかげで身を粉にして働くというのを教えてもらった。あれがよかった」


8人兄弟の末っ子として生まれた矢野。
2人の兄は成績優秀で医者となった。
劣等感をバネに身を粉にして働き続けてきたという矢野だが、
その半生は苦難の歴史だった。

1963年、矢野は一浪して中央大学の夜間に入学。
「バナナの叩き売り」などのアルバイトで生計を立て、学生結婚する。

卒業後、地元・広島に戻り、妻の実家の養殖業にたずさわる。
父の教え通り懸命に働くが、借金だけが膨らんで倒産の危機に陥った。
どうしようもなくなった矢野は、医者となっていた兄・幡二に泣きついた。
頼んだ借金は700万円。いまなら1億円に相当する。
幡二はなにも聞かずに金を用立ててくれた。

兄からの借金で一時はしのぐも、3年後にあえなく倒産。
「兄に顔向けできない」と、矢野がとった行動は夜逃げ。
妻と幼い息子を連れて、広島を離れ、東京に向かった。
その後は土木作業やチリ紙交換など9回も転職。
しかし、どれも長続きしなかった。

そんなある日、幡二から1通の手紙が届いた。
「東京に行くのでホテルまで来い」というのだ。
「借金のことをなじられるのだろう」としばらくためらったが、
矢野は兄を訪ねた。
ると幡二は笑顔で矢野の手を取り、優しく迎え入れてくれた。

「怒られるかと思ったら、ニコッとした顔が見えた。
『元気だったか? よかった、お金のことは心配しないでいい。
お前らはお前らで生きていけよ。
借金は返さなくていいから、自由に生きていけ』と言ってくれた。本当に泣きました」


幡二さんはこのときの心境をこう語る。

「昨日会ったような感じだった。兄弟だからブランクは無い。
考えていることはだいたいわかる。厳しい世間を渡ったんだろう」

兄に恥ずかしくない人間になろう。
そう誓った矢野に転機が訪れた。


当時、日雇い労働でなんとか暮らしていた矢野。
ふと見ると人だかりができていた。それは移動販売。
並べられた家庭用品や日用雑貨が飛ぶように売れていた。

29歳になった矢野は1972年、移動販売の会社「矢野商店」を起こし、
昼夜なく懸命に働いた。

順調なスタートを切った矢野に災難が降りかかる。
自宅兼倉庫が火事にあったのだ。放火だった。
財産を失い、呆然と立ち尽くす矢野だが、焼け残ったダンボールを見つけた。
中には無傷の商品が入っていた。これが矢野に転機をもたらした。

生活費の足しにしようと移動販売の準備をしていると、客が集まってきた。
次々と値段を聞かれていくうちに、矢野は「もう全部100円でいいです」。
これこそが「100円均一」誕生の瞬間だった。

矢野はこのときのことを
「値段をつける暇がなかったし、人手がいない。
仕方がなかった。本当は100円均一にしたくなかった」と、振り返る。

100円均一という安さは人気を呼び、行く先々で大盛況に。
しかし当時の商品には、粗悪品ではないが、いわゆるB級品も混じっていた。
客からは「どうせ安物買いの銭失いよ」という声も上がった。

世間の評価はそんな物なのか。矢野は唇をかんだ。


「安物買いの銭失いと言われて、悔しい思いをずっとしてきたんです。
その思いが、いい商品作りにつながった。
うれしいです。いつもバカにされていたので」


「100円でも客が満足する商品を作ろう」と、
矢野は100円ギリギリの原価で商品を作るようメーカーと交渉、
品数を増やしていった。するとそれらの商品は次第に評判となり、
大手スーパーや百貨店から店頭販売の依頼が殺到するようになった。

1977年には大創産業に社名変更し、
念願だった常設の店舗もオープン。
2001年の台湾出店を皮切りに海外にも進出。
100均グッズは世界に広がっている。




いかがだったでしょうか。
今日の「心のオアシス」

「平昌オリンピック」が開幕しました。
“自分の青春”を全てオリンピックの為にかけているから…
その姿に感動する。

我々も、この選手たちと同じくらい努力して…
色んな方々に感動を与えたい。
そう思えるのが「オリンピック」
今回は時差がないので、応援しやすい。
「ガンバレ!日本!!」


そして、「今日の一言」…。
「もう守っているだけでは駄目。
何でもいいから新しいことをせんといかん。
とにかく自ら変化せんと滅ぶしかない。」
矢野博丈

by akindonet | 2018-02-11 18:00 | Comments(0)